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【ワシントン(AP)】 台湾海峡危機で中国と台湾の軍事的緊張が高まった1958年、米軍司令部が中国に対する核兵器使用を主張したのに対し、当時のアイゼンハワー大統領が計画を承認せず、核使用は見送られたことが、このほど公開された空軍の機密文書で明らかになった。
空軍文書はジョージワシントン大学の国家安全保障公文書館が入手して公開した。
これまで重要機密扱いになっていたが、同公文書館が情報公開訴訟を起こし、10年以上前から公開を求めていた。
中国に対する核兵器の使用はアイゼンハワー内閣も了承していた。
ネイサン・トワイニング統合参謀本部議長(当時)は閣議で、福建省アモイ周辺に10~15キロトンの核爆弾を落とし、中国の海上封鎖を解除させる計画を説明した。
8月中旬には核爆弾投下のため、グアムのB47爆撃機5機が出動した。
しかしアイゼンハワー大統領は、核兵器を使えば中国と台湾の民間人が死傷し、核の連鎖につながる危険があるとして、最初から核兵器を使うことに反対した。
公文書には、「(アイゼンハワー大統領が)殺傷力の高い兵器の投下を承認する前に、通常兵器で中国に警告を与えるべきだと明言した」と記されている。
その後も、もし必要になれば核兵器を使う余地は残していたが、中国は10月に停戦を表明。その後も攻撃が再開されたが徐々に終息に向かった。
(CNN 2008.05.01 Web posted at: 14:34 )
5月1日10時1分配信の時事通信によると、アイゼンハワーの核兵器使用への衝動を「見送らせたもの」は、核投下に対する「報復」として沖縄・台湾への核攻撃が加えられることを想定しきってのことであることも報じている。
【ワシントン30日時事】中国軍が金門島を砲撃した1958年の第二次台湾海峡危機の際、米空軍が中国に核爆弾を投下する計画を立てたものの、当時のアイゼンハワー大統領が認めなかったことが30日、ジョージ・ワシントン大学の研究機関が情報公開法に基づいて入手した米軍機密文書で明らかになった。 機密文書は、当時の米空軍戦史担当者の報告書で、当時高まった「核危機」への米側の具体的対応が判明した。 文書によると、台湾海峡危機が高まった場合、空軍は10~15キロトン級の核爆弾を中国福建省アモイに投下することを検討し、効果がなければ、中国大陸の複数の飛行場に追加の爆撃をすることも計画。核爆弾を投下した場合は、沖縄と台湾が核兵器による報復を受ける恐れがあることも想定していた。
( 時事通信 5月1日10時1分配信 )
アメリカはこれ以前の1950年朝鮮戦争下でも、朝鮮半島への核兵器使用を計画していた。
(1949年のソ連スターリン主義による原爆実験の成功は、アメリカの核独占の根幹を揺るがすものであり、以後、米帝を先頭に欧州帝国主義国、中国スターリン主義の核開発と核軍拡はエスカレートしてく。)
後の1965年、ジョンソンは「
1991年の湾岸戦争、そしてアフガニスタン、イラクで大量に使用された、現在も使用され続けている劣化ウラン弾の投下はまぎれもない核戦争だ。
帝国主義が帝国主義である限り、スターリン主義がスターリン主義である限り、核戦争への衝動はやむ事は無い。
唯一、このような世界核戦争に突き進む道を阻止できるのが、労働者階級による革命なのだ。
戦争を否定しながらもその実、革命を最も否定し革命に敵対し革命を破壊する既成原水禁運動=体制内反戦・反核・被爆者運動ではこの世界核戦争への衝動を食い止めることすらできない。
人類の真の解放をかちとることができるものはプロレタリア革命でしかない。
被爆者、二世、三世は、労働者と団結を固め、ともにプロレタリア革命に起とう!
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