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被爆二世・三世・四世は被爆者青年同盟に結集せよ! 被爆者解放!日帝打倒!
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反戦被爆者の会   大槻泰生会長追悼



8月19日、壮絶な癌との闘いの渦中で逝った。享年84歳。
大槻会長の資本主義を倒さずにはおかないという執念が指呼の間に入った今年、その死を惜しまずにはおれない。
今年の8・6ヒロシマ大行動について報告し、送別の辞としたい。

大槻さんは、1945年8月6日のあの日、法務省の下級雇員として、朝鮮人を三菱に引率する仕事に従事していたという。
強制連行されてきて、さらに被爆まで強制された人々に対する抑圧者の役割を担わされたことは帝国主義への彼の恨みを深く規定している。
2009年1月、ガザに対するイスラエルの侵略を弾劾しつつ発せられた年頭アピールはそのことを示している。
「かつて私達は戦争によってしか生きていくことができないと教えられ、そのため街を焼かれ、家を焼かれ、家族を失いました。家も家族も失わなかった資本家が戦争を賛美するのを、許せぬ気持ちでおります。」
大槻さんの脳裏に焼き付いた原爆は、「白き胸を射抜き、肝臓を放射し、子宮を灼き全裸で街中を歩き続けた人々」の姿だ。
大槻さんは原爆によって遺骨の発見されないままの多くの親戚を失った。
彼にとって8時15分で時間は止まっている。

大槻さん自身が原爆によって蒙った被害も尋常ではない。
彼は真夏でも長袖を着ていたが、それは原爆によって粉砕された上腕をかばうためであった。
辛い青春時代を送ったことは想像にかたくない。
大槻さんは自らの身体的困難が子どもたちに遺伝すると憤懣やるかたなかった。
放射線影響研究所が全国被爆二世協の屈服を引き出して、2008年、「被爆二世には親の被爆に起因する優位の遺伝的影響はない」とのキャンペーンを始めるや、「日本の核武装を推し進めるため、放射線の影響は無いとする日本政府のごまかしの宣伝」と喝破すると同時に、日々繰り返されるヒロシマとして、アメリカ帝国主義によるイラクに対する劣化ウラン使用を断罪した。
イラクでの死産や流産の多さ、形成異常で生まれる子どもたちの存在を知り、核への新たな怒りに突き動かされたのだ。

大槻さんから我々が引き継いだものは、帝国主義への被爆者の怒りだ。
大変な肉体的な困難をモルヒネまで使って柔らげながら、戦後のストライキ闘争や朝鮮戦争反対に身を投げ出して行った。
2003年には被爆後57年にして皮膚ガンから片耳ををそぎ落とす危機を迎えた。
しかし、彼は、身の危険を顧みず、86闘争に決起し、オバマのプラハ演説を弾劾した。鬼気迫るものであった。

「  ヒロシマ忌  無理をするなと はげます亡妻(つま)のことばに 我は泪す  」

大槻さん、大槻さん、
今あなたを失って、あなたに肉薄することを果たせなかった自分を恥じ入るばかりです。
しかし、それでも被爆者青年同盟結成41年、反戦被爆者の会結成34年の闘いが生み出したものは本当に大きかった。

3月11日の福島原発事故は、その余りの巨大な反革命性故に多くの人々を一瞬呆然自失に陥れました。
しかし、ヒロシマは大槻さんの核に対する怒りをバックボーンに、そして、毎年チエルノブイリ記念日に中国電力本社抗議闘争をやってきた地平に踏まえ、この事故は新自由主義の破産と捉え、爆発後直ちに(3月14日)中国電力本社に抗議に赴きました。
そして、4月からは「全ての原発の即時停止を求める署名」を開始し、被災地の怒りを共有することを全国に呼びかけました。

そうした、闘いの上に、福島原発事故以来始めての8・6ヒロシマでヒロシマが世界に向かって何を発信するかが注目されている、8・6を全世界の労働者の団結で核と原発をなくす宣言の場にしようと被爆者青年同盟は総決起しました。
当日は、原爆ドーム前を立錐の余地無く労働者民衆が埋め尽くし、下田礼子さん、大石又七さん、福島の労働者、アメリカのシンディー・シーハンさんらが、世界の労働者民衆が団結すれば必ず核は無くせる、核を必要とする社会は変えられると圧倒的な訴えを行いました。腐敗した原水禁を乗り越える世界大会を実現したのです。
8月5日には、反原発を闘う全国会議(NAZEN)が発足し、原発推進が国をあげての嘘であったことを見抜いた若者たちが先頭にたって、被爆労働を強制する原発なしでは生き延びることのできない新自由主義の社会は転覆する他ないと、地殻変動的な情勢を生み出そうとしています。

大槻会長が必死になって闘いとろうとした革命情勢が、それを闘う革命党の成長とともに生み出されたのです。大槻精神が生きています。
葬儀に参加できなかった私も、改めてこの拙文を捧げて、大槻さんへの約束としたいと思います。
11月10000人決起に向けて叱咤激励を続けてください。
               
全国被爆者青年同盟 委員長 中島 健



【お知らせ】  
 大槻泰生さんを偲ぶ会
  日時:9月18日17時~19時
  場所:広島市東区 東区民文化センター 大会議室
 

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2009年年頭の決意と訴え-----

資本主義を根底から揺さぶる嵐が全世界で吹き荒れています。
マツダなどの資本家は労働者をとんでもない低賃金でこき使い、膨大な利益を懐に入れた挙句の果て、世界金融大恐慌の波をかぶり減産に追い込まれるや、今度は一番に労働者を街頭に投げ出しています。
こうした資本主義の末期的情勢の中、世界中で労働者人民・学生の「生きさせろ!」の闘いが巻き起こっています。

かつて私達は戦争によってしか生きていくことができないと教えられ、そのため街を焼かれ、家を焼かれ、家族を失いました。
家も家族も失わなかった資本家が戦争を賛美するのを、許せぬ気持ちでおります。
私達被爆者は、占領下で全国ゼネストを闘うと共に、朝鮮戦争、プレスコードに反対する闘いなど幾多の闘いを体を張って闘ってきました。
そして今、イスラエルとアメリカの侵略戦争と断固として闘っています。
広島の被爆写真を見て、原爆反対、戦争はいやだと闘いを始めた星野文昭さんを私達の手に取り戻すように闘っています。
また、差別は敵による分断攻撃であり、その分断攻撃と闘っています。
この闘いを全力で闘い抜きます。

最末期の資本主義の延命に対して、今こそ私達は世界革命に勝利する労働者の党を創り出し、打ち倒さねばなりません。
それを年頭にあたってみなさんに訴えます。
大槻泰生
被爆者の皆さん、二世・三世の子どもたち、孫たちよ、元気ですか?
私達を支援してくださっている労働者、学生、市民の皆さん、いつもお世話になっています。

1945年8月6日、被爆した多くの人達は死んでしまいました。
そして、生き残った私たち被爆者、その子ども達や孫達は痛い、苦しい、しんどい体で今日まで生きぬいてきました。

来る11月29日、獄中から星野文昭さんの奪還をかちとるための全国集会が東京で開催されます。
私たちは何としてもこれに参加しなければならないと考えています。

星野さんは、「アサヒグラフ」に載っていた広島の原爆投下直後の写真を見て、全世界の労働者、民衆と共に核と戦争をなくすために決起されました。
また、星野さんは私たち被爆者の英霊化反対の闘いを、自分自身の自己解放の闘いとしてともに闘ってくれました。

そんな星野さんだからこそ、敵権力は戦争によって金もうけを企む奴らの後押しで、デッチあげ無期攻撃をかけ、34年も獄中に押しこめ続けているのです。
こんな権力の星野さんへの長期投獄を許することは絶対できません。
私は、自己解放という出発点が一緒である獄中の星野さんとともに闘う決意です。

皆さん、「星野文昭さんを自由に 第2次再審勝利へ 11・29全国集会」に参加されることを、こころから呼びかけます。

皆さん、全力で闘いぬきましょう。

大槻泰生
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