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被爆二世・三世・四世は被爆者青年同盟に結集せよ! 被爆者解放!日帝打倒!
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故キム・ヒョンユルを考える  2010-05-20
原文⇒http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/421732.html
[ハンギョレ新聞 特派員特派員コラム]

日本、長崎市の浦上聖堂には高さ2mの美しい木造聖母像が一つあった。1945年8月9日、この聖堂から500mも離れていないところで原子爆弾がさく烈した。
信者1万2000余人の内、何と8500人余りが亡くなった。聖堂も廃虚となった。
2ヶ月後、人々は聖堂残骸を片づけ、全て焼けてしまい首の上部分だけが残った聖母像を発見した。ほおが真っ黒に焼け、水晶玉でできた2つの眼が溶け落ちてしまった惨い姿だった。

‘被爆マリア’という新しい名前を得たこの彫刻像はそのまま保存され、戦争と核兵器の惨状を今も黙って告発している。
今月初めには原爆を投下した米国にも初めて渡り、ニューヨーク聖ペトリック大聖堂で一般に公開された。
その消息を聞いた時、私は故キム・ヒョンユルを考えた。

kim_hyongyul_1.jpg
ありし日のキム・ヒョンユル君
 

彼に初めて会ったのは2002年8月初めの釜山だった。
日帝強制動員被害者たちの証言を収録しながら‘真相究明特別法’制定を訴えたこれらの全国巡礼を同伴取材したときだった。
その年の3月、自分が‘原爆被害者2世’であることを世の中に初めて公開した彼は33歳だった。ところが体重は38㎏しかなかった。
一種の先天性免疫欠乏症で、すでに肺機能の半分を失った状態であった。
彼は苦しい吐息をつきながら、苦しそうにインタビューに応じた。
彼は原爆の近くに行ったことがない。ただ、母親が6才の時に原爆がさく烈した日本の広島にいたことが原因だった。

その頃から原爆2世問題解決のために本格的に関わり始めた彼はその後、何度かソウル・ハンギョレに私を直接訪ねてきて新しい資料を渡したりした。
高く急な階段を一人でかろうじて歩いて上がってきた彼に会う度に、私は自分の丈夫なからだがとても恥ずかしく感じられた。

彼に初めて会った頃に比べれば、日帝強制占領被害者問題の解決はその間に大きく進展した。
2004年‘日帝強制占領下強制動員被害真相究明などに関する特別法’が制定された。
今年初めには国外強制動員犠牲者支援法も作られ強制動員被害者に医療費として年80万ウォンをわが政府が支給するなどの支援もなされ始めた。
しかし、キム・ヒョンユルが提起した‘2世患友’問題の解決は政府次元ではまだこれといった進展がない。

東京特派員として赴任した後、2ヶ月余りの間、私が日本から送った記事も明るくはない。
日本の裁判所が日帝強制動員被害者らが出した訴訟を棄却したという便り、韓-日会談関連文書公開を日本政府が拒否し裁判所がこれを正当と受け入れたという便り、などを伝える心は重い。
日本の新しい政権が何か新しい転機を作るという期待は、日に日にかすんでいきつつある。
被爆マリアの外国往来も‘原爆被害者日本’を浮彫することに一層の焦点が合わされている。
しかしキム・ヒョンユルに初めて会ったその年の夏に再び戻って考えてみれば、答は意外に簡単だという気がする。
日本の態度が変わることを待たず、わが政府がさらに積極的に立ち上がり、日帝強制占領期間被害者らを世話することだ。
気乗りのしない日本から無理に賠償を受け免罪符をあげるよりは、真実を隠し責任をないがしろにした彼らの不道徳を歴史に長く残す方がより良い。
そうするには、私たちが彼らよりははるかに道徳的でなければならない。
国民を世話する国家の責任と義務を果たさなければならない。

息を殺して過ごしている‘2世患友’たちのために、生の最後の3年を燃やしたキム・ヒョンユルが亡くなって29日で5年になる。
日帝の朝鮮強制合併100年をむかえる今年、彼が生きていれば‘わが国’をどう思っただろうか? 彼を考えれば今も息がつまってくる。

チョン・ナムグ特派員


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キム・ヒョンユル君の追慕祭は、5月29日、釜山の民主抗争記念館・民主公公園で行われる。

 090523_tuibo2.JPG
昨年のキム・ヒョンユル追慕式

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去る9日、広島放射線影響研究所に対し抗議と、この対「核テロ」研究の中止を求める第一回の交渉を行いました。
大久保理事長、研究統括責任者をはじめ対応できる責任者が海外出張を理由に出席せず、事務方との交渉。
中島委員長の鋭い食下がりで、事務方も契約時に同席していたことを引き出しました。
その後、放影研は私たちが要請した日時で調整することを確認したにもかかわらず、これまた常務理事の「海外出張」を理由に変更を要請してくるという不誠実きわまりない対応。
これが放影研の真の姿だ!
大久保理事長は事務方や研究職員を盾にして逃げ回わらず、私たち被爆二世の前に出て来い!
091109_1.jpg


抗議文
 
財団法人 放射線影響研究所  大久保利晃理事長 殿
 
反戦被爆者の会
全国被爆者青年同盟
 
 
広島放射線影響研究所が米国アレルギー感染症研究所より総額2億円もの資金援助を受け、被爆者・二世からこれまで採取した標本・データ等々を用い、そして更なる被爆者の生身を用いて「核テロ」対策のための研究が進められようとしていることに、私たち反戦被爆者の会・全国被爆者青年同盟は憤りを抑えることができない。
被爆者・二世をモルモットにする放射線影響研究所と米国アレルギー感染症研究所との「核テロ」対策のための研究計画に断固として抗議する。
ただちに米国アレルギー感染症研究所との受託契約を撤回するよう強く要求する。

1947年以降、ABCCはアメリカの核開発、核攻撃からの防御のために被爆者・二世をモルモットにして調査を行なってきた。
米軍占領下では、私たちの父や母や兄弟・姉妹である被爆者は銃をつきつけられ、ジープに乗せられて拉致同然にABCCに連れて行かれた。
そして施設では多くの研究員の前で裸にされ、あらゆる角度から写真を撮られ、放射線障害で病む身体から標本を採取され、苦悶の果てに死亡した被爆者の死体は切り刻まれた。
ABCCは、広島、長崎への原爆投下・被爆が人間に対してどのような作用を与えるかを、被爆者の尊厳を踏みにじり放射線障害のデータを奪い続けながら核兵器開発・防御方法の研究を行なってきた。
そして、そうした本来の目的は一切秘匿し続けてきたのだ。
私たち被爆者、被爆二世と家族はその屈辱と怒りを今も忘れてはいない。
 
放射線影響研究所が米国アレルギー感染症研究所の助成を受け、ABCCから引継いだ標本やデータ、追跡調査や被爆二世健康調査などで収集した被爆者・二世についてのデータなどをもとに、放射線が免疫機能に与える影響などの研究を始めることは、被爆者を核開発に用するだけではなく、「反テロ戦争」にまで利用するというものである。
そもそも米国アレルギー感染症研究所は、放射性物質、核兵器による攻撃に対して医学的な対抗手段を計画立案している研究機関だ。
米国アレルギー感染症研究所の「対核テロ」研究という「核テロ」とは、水や食料を放射線物質で汚染させる、放射線を出す物質を公共の場に設置する、人口密集地で放射性物質を含んだものを爆発させる(劣化ウラン弾)、原子力発電所や高レベル核廃棄物貯蔵所への攻撃などであり、研究所は核爆弾の爆発=核戦争に「対抗」する研究を目的とする。
このどこに「人類全体の健康と福祉増進(大久保利晃放射線影響研究所理事長)」の「平和的目的」があるというのか!
 
米エネルギー省からの予算削減という財政的問題を抱える放射線影響研究所の存続を、米国アレルギー感染症研究所からの助成金にかけ、「核テロ」対策の研究に協力することがどうして「被爆者の命を守るため」になるというのか!
ABCCが被爆者の生き血を吸い尽くし、愚弄し尽くし、利用し尽くしたやり方とまったく同じではないか!
地元連絡協の委員や長崎、広島の被爆者団体からの反対の意見がありながら、「核テロ」対策の研究を強引に押し進めることは、アメリカ大統領バラク・オバマが「プラハ演説」で宣言した核独占=世界戦争政策への積極的加担である。
 
オバマは「グローバル戦略攻撃軍団」に28年ぶりに手をつけ、核兵器用のICBM「ミニットマン3」発射実験など、アメリカの飛躍的な核武装強化を図り、文字通り「対テロ戦争の主戦場」であるアフガニスタン侵略戦争を、「長引く紛争」(9月23日、国連総会演説)と、ブッシュ以上の兇暴さで「第二のベトナム」化以上になろうとも、その戦争意思を貫くことを宣言した。
同時に、この国連演説で「核開発」でイランと北朝鮮を名指し、軍事攻撃の恫喝をかけた。
対北朝鮮軍事戦略においては、去る8月の米韓合同演習ではこれまでの作戦計画「5027」に替わる北朝鮮への「先制攻撃」戦略の演習を行い、一方で韓国に「核の傘」を約束した。
 
このようなオバマの世界核戦争政策の一環として、米厚生省傘下の27研究機関の予算を大きく引き離す4569百万ドルもの巨額の年間予算(2009年)が投じられる重要な研究機関が、米国アレルギー感染症研究所である。
「対テロ」研究とは、放射性物質、核兵器による攻撃に対する医学的な対抗手段を計画立案している核戦争のための研究機関であり、最大の研究テーマは核爆弾だ。
核爆弾により生体はいかなるダメージを受け、いかなる「防御」が可能かというものであり、核戦争を想定ではなく、まさに実行目的とする研究がおこなわれているのだ。
 
オバマの世界核戦争政策のために、被爆者・二世を繰り返し利用することに放射線影響研究所が踏み込んだことは断じて許せない。
私たち被爆者・二世は、オバマの世界核戦争政策に加担する放射線影響研究所に対し、激しい怒りを込めて弾劾、抗議する。
2009年11月 9日
連絡先 : 広島市西区草津東3-2-5
TEI&FAX (082)271-7895
 
11月4日、東京・日比谷野音での「11・1 全国労働者総決起集会」をともに闘ったUTLA(ロサンゼルス統一教組)のセシリー・マイアート・クルズさんを広島に迎え「日米労働者交流集会in Hiroshima」を開催。
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セシリー・マイアート・クルズさん

その集会での全国被爆者青年同盟 中島健委員長の発言です。
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被爆2世の私の方から歓迎のあいさつをしたいと思います。
今年の11月集会に多くのアメリカ労働者の方々が参加していただき、ますます核と戦争をなくす闘いが力強く発展していることを年々感じています。

今まで日本の反戦・反核運動は核廃絶ということをいってきました。
しかし、だから大統領を呼ぼうといった運動には核を廃絶できる展望はありません。
我々の労働者としての闘い、核を使わざるをえない、この支配のありかたを変えていくということに一切の可能性があります。
8月6日に私たちはオバマのプラハ演説を断固批判しました。
オバマにノーベル賞を授与するということで、オバマは平和主義者であるかのように描かれていますが、これまでキッシンジャーはもとよりルーズベルト、全て戦争をやってきたやつらにノーベル賞が与えられている。
言葉で「平和」を語り、実際には戦場で人を殺しているのです。
特にアフガニスタン、イラク、パレスチナで。
その戦争の最高司令官であるオバマが、核を廃絶することなどないのです。

そのことをはっきりと申し上げて、12日にもオバマが広島にくるかもしれないということが言われていますけども、広島には絶対にこさせない抗議の闘いをやっていきたいと思っています。

私たちの闘いが日米の国境を越えて、ともに連帯する、そして支配者階級を打ち倒していく、そういう闘いを一緒にやっていけたらと思っています。
よろしくお願いします。
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