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(1)1931年重陽子、32年中性子、33年陽電子の発見は原子と原子核の構造を探究する新しい道具を物理学者に与えた。
1934年、イタリアの物理学者エンリコ・フェルミは中性子を当てられた元素は他の同位元素に変わることを発見した。この現象は「人工放射能」と呼ばれるようになった。
中性子は原子核の構造を探究する道具として使われ、30年代後半には世界各地-ローマ、パリ、ベルリン-でこの核変換の秘密を解明する競争になった。
1933年ドイツでナチスが政権を取り反ユダヤ人政策を開始し多くの物理学者がイギリス、ソ連、アメリカその他の国に渡った。
1938年、そのうちのリーゼ・マイトナーと甥のオットー・フリッシュは中性子を当てられたウラニウムの原子核が2つに分かれるとアインシュタインの有名な公式E=mc2(Eは原子核が分かれるとき解き放たれるエネルギー、mは元のウラニウムと生成された物質の質量の差、cは光速)によるエネルギーが発生することを明らかにした。
彼らは、この作用を細胞生物学にたとえ「分裂」と命名した。
多くの研究者はこの結果の持つ意味を理解した。
一つ一つの分裂がさらに十分な中性子を解き放つなら、これらの中性子は他の原子核を分裂させ、巨大な量の核エネルギーを解放する自立した連鎖反応を引き起こすという可能性が持ちあがった。
それは、原子炉で制御されるか、強力な爆発として・・・。
デンマークの物理学者ニールス・ボーア他は理論的研究により天然ウランの主要な同位元素ウラン235とウラン238のうち、ウラン235に分裂の信頼性があるとした。
参考文献:”The Manhattan Project” Jeff Hughes
(2)コロンビア大学でフェルミは核分裂の連鎖反応を制御するための反応炉の建設に着手した。
一方、1941年2月バークレーではサイクロトロンによるウラン238への中性子の照射によって人工的な元素プルトニウム(Pu)が作り出された。
Puはウラン235と重要な同じ、すなわち核分裂を起しやすい性質を持っていた。
この発見は1941年10月、ルーズベルト大統領に伝えられた。
1941年12月7日の真珠湾攻撃で第二次世界大戦へ参戦したアメリカは一気に核兵器開発を加速した。
12月中旬、①核連鎖反応と兵器理論、②同位元素の分離の方法、③核分裂物質の属性、④兵器に必要な核分裂同位元素の工場規模での生産計画の研究が本格的に始まった。
こうした計画の規模と範囲が大きくなると、その調整の管理者として軍が参加した。
陸軍工兵隊が巨大な建設計画の責任を負った。
新たな工兵隊司令部がニューヨークのマンハッタンにあったので「マンハッタン・プロジェクト」という暗号名がつけられた。
1942年12月初頭、フェルミ等は世界で最初の自動継続的な核連鎖反応(臨界)に成功。
これを受けて計画は具体化された。
①ウランの電磁同位体分離施設、実験炉とプルトニウム製造施設はオークリッジに、②プルトニウム製造のための大規模な原子炉はハンフォードに建設されることになった。
ハンフォードの開発はデュポンと陸軍工兵によって行なわれた。
1944年9月最初の原子炉が臨界に達し、1945年初め数キログラムのプルトニウムがロスアラモスへ送られた。ハンフォードはさながらデュポン会社の町の様相を呈した。
1941年12月の参戦以降、戦時下の労働運動に対する規制―最高裁はストライキを違法とし、州政府はストライキ、ピケ、ボイコットを阻止する法律を制定した-により、労働組合が役人と連携していたためこれらの工場は刑務所か強制労働収容所のようであった。
労働者のモラルの低下は無断欠勤などの問題を引き起こし、労働者の募集や保持に重大な問題を引き起こした。
※当時、アメリカの労働組合はCIOやAFLなどほとんどは「ストをしない誓い(No-Strike Pledge)」を掲げ戦争協力体制を取っていた。
こうした状況下でも炭坑労働者のスト、その他多くの山猫ストが闘われ1944年のストライキの数はアメリカ史上最高に達した。
高速核分裂の研究所(核兵器工場)は、①敵の空襲を避けるために奥地であること、②事故に備えて人口密集地から離れていること、③安全保障の関係から地形的に孤立しているという条件を具備し、④且つ接近しやすく、⑤地方の労働力が確保でき、⑥水の供給と年間にわたる仕事が可能な適度な気候などの観点からロスアラモスに決まった。
参考文献:”The Manhattan Project” Jeff Hughes
“A People’s History of the United States” Howard Zinn
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