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今回の─核シリーズ─は、核空母「ジョージ・ワシントン」の横須賀母港化について言及したい。
核空母ワシントンは、1986年5月に建造が始まり、90年7月進水、92年7月に就役した。
満載排水量104,200トン、全長330m、全幅77mで2基の原子炉を搭載し最大速度は35ノットである。
艦載機85機、士官・兵員3,200人、航空要員2,480人が乗船している。
就役以来6回、地中海、ペルシャ湾に配備。
96年にはボスニア・ヘルツェゴビナ作戦、イラク南部の飛行禁止区域での警戒活動に参加。
97年10月から98年4月までペルシャ湾でイラクに対する国連武器査察団の防衛・支援にあたる。
2004年4月18日、イラク戦争「終結」以降空母による最大の攻撃作戦であるイラク北部のキルクークへの「精密」爆撃と機銃掃射攻撃に参加。
核空母ジョージワシントンは就役以来、ヨーロッパと中東で幾多の労働者人民を虐殺してきた血にまみれた軍艦なのである。
2008年4月7日、核空母ジョージワシントンは従来の母港バージニア州ノーフォークを出航し、南米を回ってキティーホークと交代するため横須賀基地に向かった。
同年5月22日、艦内で火災が発生し同27日サンディエゴに入港し修理を行なった。
このため、8月に予定されていた横須賀配備はやや延期となる。
核空母ジョージワシントンの横須賀配備は、2006年5月の米軍・自衛隊再編計画「再編実施のための日米のロードマップ」に基づいている。
キティーホークとの交代は同時に新たに厚木基地を拠点とする第5空母航空団と横須賀を拠点とする第5空母打撃群に引継がれる。
空母打撃群は1隻の空母、ミサイル巡洋艦、ミサイル駆逐艦、ミサイルフリゲート艦などの複数の護衛艦船および攻撃型原子力潜水艦、高速戦闘支援艦、給油艦、戦闘給糧艦などによって構成されている。
前任のキティーホークもインド洋、ペルシャ湾に出撃しアフガニスタン、イラク攻撃に参加しているが、ワシントンは通常動力型のキティーホーク比べ、燃料補給(燃料棒の交換)の回数が少なくて済み長期間にわたる戦闘継続が可能な空母なのだ。
核空母ジョージワシントンの横須賀入港=母港化は、日米共同の朝鮮・中国・アジア侵略の拠点化としの米軍・自衛隊再編計画の一環なのだ。
それに対する労働者・市民の反撃ののろしが15000の結集であがった。
国際的な労働者階級人民の団結、とりわけ軍服を着た労働者との団結が侵略戦争を止める唯一の力だ。
被爆者・二世・三世こそ、その存在をかけて軍服を着た労働者の中にわけいろう!
※ 再編実施のための日米のロードマップ (防衛省 資料)
ライス国務長官・ラムズフェルド国防長官・麻生外務大臣・額賀防衛庁長官 (2006・5・1)
─実施に関する主な詳細 厚木飛行場から岩国飛行場への空母艦載機の移駐 ─
●第5空母航空団の厚木飛行場から岩国飛行場への移駐は、F/A-18、EA-6B、E-2C及びC-2航空機から構成され、(1)必要な施設が完成し、(2)訓練空域及び岩国レーダー進入管制空域の調整が行われた後、2014年までに完了する。
●厚木飛行場から行われる継続的な米軍の運用の所要を考慮しつつ、厚木飛行場において、海上自衛隊EP-3、OP-3、UP-3飛行隊等の岩国飛行場からの移駐を受け入れるための必要な施設が整備される。
●KC-130飛行隊は、司令部、整備支援施設及び家族支援施設とともに、岩国飛行場を拠点とする。航空機は、訓練及び運用のため、海上自衛隊鹿屋基地及びグアムに定期的にローテーションで展開する。KC-130航空機の展開を支援するため、鹿屋基地において必要な施設が整備される。
●海兵隊CH-53Dヘリは、第3海兵機動展開部隊の要員が沖縄からグアムに移転する際に、岩国飛行場からグアムに移転する。
●訓練空域及び岩国レーダー進入管制空域は、米軍、自衛隊及び民間航空機(隣接する空域内のものを含む)の訓練及び運用上の所要を安全に満たすよう、合同委員会を通じて、調整される。
●恒常的な空母艦載機離発着訓練施設について検討を行うための二国間の枠組みが設けられ、恒常的な施設を2009年7月又はその後のできるだけ早い時期に選定することを目標とする。
●将来の民間航空施設の一部が岩国飛行場に設けられる。
(1)ウラニウム原爆(1945年8月6日広島に投下された型)
1943年4月、ロスアラモスは操業を開始した。
全米からイギリスからも研究者が集められ5つの部門①理論、②実験物理、③化学・金属学、④兵器・技術、⑤管理で構成された。
「戦争が終るまでに完成させる」ことを目標にウラニウムとプルトニウムを原材料にした原爆の製造が急ピッチで進められた。
※1939年、ドイツ・日本での軍事応用開発研究始まる。
1941年、米は英国の協力で数百万ドルの全面的に計画拡大。
ロスアラモスに集まったどの科学者も、核分裂が新兵器に
使われることは周知のことであり、ウラン235が
核分裂してできる放射性核種の人体に対する影響への関心は
すでに持っていた。
(1943年当時のロスアラモス研究所)
天然ウランはウラン235(0.7%)とウラン238(99.3%)で構成される。
核分裂反応を起こすのはウラン235だけである。
ウラン235を分離して取出すことを「濃縮」という。
ウラン235もウラン238も化学的性質は全く同じことから化学的に分離することはできない。
重さの違いにより物理的に分離するしかない。
「遠心分離法」、「ガス拡散法」、「電磁分離法」などにより100%近くに濃縮されたウラン235が原爆の材料になる。
しかし、100%純粋なウラン235に中性子をぶつけて核分裂反応を引き起こしても中性子漏れのため原爆にはならない。
核分裂連鎖反応が最後まで持続するのに必要な最小のウラン量を「臨界量」と言い、臨界量以上の場合は「超臨界」と言い、以下の場合「臨界未満」と言う。
原爆の場合「超臨界」を必要とする。
球形のウランの塊の周囲を中性子が漏れないような物質で覆えば臨界量は小さくできる。
ウラン235の臨界量は5~15kgとされている。
臨界未満のウランの塊を2つ用意し、2つ合わせると超臨界になるようにする。
一方の臨界未満の塊の中に中性子を放出する装置(イニシエイター)を備え、1つの塊(ターゲット)を一方の端に固定し、もう一方(砲弾)をターゲットめがけてぶつける。
2つの塊が合体すると圧縮されて超臨界になる。
合体した瞬間にイニシエイターから中性子が放出され超臨界に達したウランは核分裂連鎖反応を引き起こす。
連鎖反応によって生じたエネルギーは熱となって外に流れ出す。
1億分の1秒の間に1000万度になった爆弾は周囲の空気を一挙に膨張させ強力な爆風を生じさせる。同時におびただしい量の電磁波(熱線、可視光線など)、放射線(アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線)を発する。
(2)プルトニウム原爆(長崎に投下された「ファットマン」)
ウラニウム原爆は構造が簡単なことから小規模な実験は行われたものの実物による実験はなかった。最初に製造されたもの(「リトルボーイ」)がそのまま広島に投下された。
プルトニウム(Pu)にはPu239とPu240の同位元素がある。
そのためウラン爆弾のように未臨界のウランターゲットを一方に固定しこれに未臨界のウラン砲弾をぶつけて合体させ、超臨界に達したウランが核分裂反応を起す「ガン式」の爆弾には使用できない。
すなわち、Pu240はPu239よりも「自発核分裂」(核が中性子を吸収することなく核分裂を起す現象)を起すため、砲弾がターゲットと合体する前にPu240が自発核分裂を引き起こし超臨界に達する前に分裂連鎖反応を起し小爆発を起す。
いったん小爆発が起こると分裂連鎖反応は進行しない。
この問題を解決するためにインプロージョン方式(「爆縮式」)が開発された。
爆縮式はガン式に比べ臨界未満の状態から超臨界の状態になる時間がおおいに短縮される。
したがって、Pu240の自発核分裂による中性子が連鎖反応を起す前にプルトニウム球が圧縮され、超臨界になった瞬間、イニシエーター(中性子源)から中性子が出て初めて連鎖反応が起こる。
ポロニウムをアルミニウム・フォイルで包みさらにその周りをベリリウム粉で囲んだものを中性子源としプルトニウム球の中心に置く⇒これをプルトニウム・コアと呼ぶ。
アルミニウム・フォイルはポロニウムから出てくるアルファ粒子を遮る。
プルトニウム・コアが爆縮によって小さくなると一気に臨界状態になる。
その直前にアルミフォイルは破れポロニウムからアルファ粒子が飛び出しベリリウムに吸収され中性子が発生し核分裂連鎖反応が始まる。
プルトニウム・コアから中性子を逃がさないためにその周りを天然ウラン(タンパー)で包む。さらにその外側に爆薬を均等に仕掛け、起爆装置により爆薬を同時に爆発させると衝撃波が発生し球の中心に向かう。
この衝撃波はアルミニウム・フォイルを破り、ウラニウム・コアを圧縮し一気に超臨界に達し核爆発が起こる。
タンパーの外側に配置された爆薬を同時に爆発させ、その衝撃波が均一にプルトニウム・コアに圧力を掛けるための技術開発に多くの時間を要した。
そのため、プルトニウム原爆の性能は実物の爆発実験によって証明されなければならなかった。
1945年7月16日、世界最初の核爆発がニューメキシコで実施された。
核時代の幕開けであった。
※1945年7月16日午前5:29:45(現地時間)、
最初の原爆実験は、ニューメキシコ州アラモゴードの
トリニティ・サイトで 行われた。
Before Trinity: The 100 Ton Test
参考文献;「核兵器のしくみ」山田克哉
「The making of the Atomic bomb」Richard Rhodes
(1)1931年重陽子、32年中性子、33年陽電子の発見は原子と原子核の構造を探究する新しい道具を物理学者に与えた。
1934年、イタリアの物理学者エンリコ・フェルミは中性子を当てられた元素は他の同位元素に変わることを発見した。この現象は「人工放射能」と呼ばれるようになった。
中性子は原子核の構造を探究する道具として使われ、30年代後半には世界各地-ローマ、パリ、ベルリン-でこの核変換の秘密を解明する競争になった。
1933年ドイツでナチスが政権を取り反ユダヤ人政策を開始し多くの物理学者がイギリス、ソ連、アメリカその他の国に渡った。
1938年、そのうちのリーゼ・マイトナーと甥のオットー・フリッシュは中性子を当てられたウラニウムの原子核が2つに分かれるとアインシュタインの有名な公式E=mc2(Eは原子核が分かれるとき解き放たれるエネルギー、mは元のウラニウムと生成された物質の質量の差、cは光速)によるエネルギーが発生することを明らかにした。
彼らは、この作用を細胞生物学にたとえ「分裂」と命名した。
多くの研究者はこの結果の持つ意味を理解した。
一つ一つの分裂がさらに十分な中性子を解き放つなら、これらの中性子は他の原子核を分裂させ、巨大な量の核エネルギーを解放する自立した連鎖反応を引き起こすという可能性が持ちあがった。
それは、原子炉で制御されるか、強力な爆発として・・・。
デンマークの物理学者ニールス・ボーア他は理論的研究により天然ウランの主要な同位元素ウラン235とウラン238のうち、ウラン235に分裂の信頼性があるとした。
参考文献:”The Manhattan Project” Jeff Hughes
(2)コロンビア大学でフェルミは核分裂の連鎖反応を制御するための反応炉の建設に着手した。
一方、1941年2月バークレーではサイクロトロンによるウラン238への中性子の照射によって人工的な元素プルトニウム(Pu)が作り出された。
Puはウラン235と重要な同じ、すなわち核分裂を起しやすい性質を持っていた。
この発見は1941年10月、ルーズベルト大統領に伝えられた。
1941年12月7日の真珠湾攻撃で第二次世界大戦へ参戦したアメリカは一気に核兵器開発を加速した。
12月中旬、①核連鎖反応と兵器理論、②同位元素の分離の方法、③核分裂物質の属性、④兵器に必要な核分裂同位元素の工場規模での生産計画の研究が本格的に始まった。
こうした計画の規模と範囲が大きくなると、その調整の管理者として軍が参加した。
陸軍工兵隊が巨大な建設計画の責任を負った。
新たな工兵隊司令部がニューヨークのマンハッタンにあったので「マンハッタン・プロジェクト」という暗号名がつけられた。
1942年12月初頭、フェルミ等は世界で最初の自動継続的な核連鎖反応(臨界)に成功。
これを受けて計画は具体化された。
①ウランの電磁同位体分離施設、実験炉とプルトニウム製造施設はオークリッジに、②プルトニウム製造のための大規模な原子炉はハンフォードに建設されることになった。
ハンフォードの開発はデュポンと陸軍工兵によって行なわれた。
1944年9月最初の原子炉が臨界に達し、1945年初め数キログラムのプルトニウムがロスアラモスへ送られた。ハンフォードはさながらデュポン会社の町の様相を呈した。
1941年12月の参戦以降、戦時下の労働運動に対する規制―最高裁はストライキを違法とし、州政府はストライキ、ピケ、ボイコットを阻止する法律を制定した-により、労働組合が役人と連携していたためこれらの工場は刑務所か強制労働収容所のようであった。
労働者のモラルの低下は無断欠勤などの問題を引き起こし、労働者の募集や保持に重大な問題を引き起こした。
※当時、アメリカの労働組合はCIOやAFLなどほとんどは「ストをしない誓い(No-Strike Pledge)」を掲げ戦争協力体制を取っていた。
こうした状況下でも炭坑労働者のスト、その他多くの山猫ストが闘われ1944年のストライキの数はアメリカ史上最高に達した。
高速核分裂の研究所(核兵器工場)は、①敵の空襲を避けるために奥地であること、②事故に備えて人口密集地から離れていること、③安全保障の関係から地形的に孤立しているという条件を具備し、④且つ接近しやすく、⑤地方の労働力が確保でき、⑥水の供給と年間にわたる仕事が可能な適度な気候などの観点からロスアラモスに決まった。
参考文献:”The Manhattan Project” Jeff Hughes
“A People’s History of the United States” Howard Zinn
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