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紅茶を楽しみながらこんな話を交した。
「あんたはええなー、なんの悩みを感じられないし奥さんと飄々と暮している-奥さんに救われているからええ-。」
私は友人の残していった言葉を考えさせられた。
1945年8月6日、私は悲しい苦い苦い体験をした。
最愛の肉親は救出することはできず、家財も家も焼失したあの時の情景は、今も心の中に深く深く焼きついている。
戦後、私達はモルヒネの注射で痛み、苦しみ、悩みをこらえて労働者の一人として2・1ストを始め戦後の労働運動を闘ってきた。
戦後空白の10年と呼ばれている期間も日本政府及び占領軍のきびしい弾圧にも屈することなく闘ってきた。
それは今も続いている。
「私は広島郊外に住んでいたので原爆の被害は最小限度ですんだ。広島に原爆が落とされていなかったら、他の都市と同じように私の家にも爆弾が落とされて焼失したであろう。だから、原爆投下は正しかった。」と話をしている老婆がいる。
戦争は私達が起こしたものではない。
一握りの戦争によって金もうけを企む奴等が計画したのであって被害者は私達人民である。
私達は日本の国を戦争から守ることはできなかった。
そして原爆の投下を受けた。
しかし、私達の子どもや孫達、二世・三世に責任はないはずであるが被害を受けて苦しんでいる。
政府は被爆者は早く死ぬことを、子どもや孫達、二世・三世は親からの影響はないと言い切る政策を取りつづけている。
私は人の悪口、陰口など人権を侵す(いうな)(みるな)(きくな)等原水爆の猛毒を知らない人と話をしないことにした。
被爆者の仲間や二世・三世、子どもたちと共に闘っている学生・労働者・市民、階段や峠道の往復を心配してくれる助言は素直に聞くことにしている。
私は核の怖さを全世界の人達に強く強く呼びかけて平和の架け橋となるように皆さんに呼びかける。血と汗と涙で勝ち取った憲法を私達の力で活用しようではありませんか。
病は気からと言われています。
人の世に熱あれ人間に光あれと言える世の中を目指して闘いぬいてまいります。
苦しい苦しい世の中、敵権力より一日も長く生きのびて闘いつづけます。
明るい光の讃さんとふりそそぐ窓辺を見つめながら考えている。
会員の皆さん健康に気をつけてね。
「働いて働きぬいた あなたの笑顔 桜の花がふたえ(二重)にうつりぬ」
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広島市西区草津東3-2-5 小西のぶ子記念館気付
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