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100名近い私服刑事がキャンパス内に乱入し、学生30名近くを不当逮捕!
サミット粉砕決戦に全国の労働者・学生、被爆者・二世三世は、起て!!
その星野さんの再審をかちとるため、「広島星野文昭さんを救う会」主催による集い「ヒロシマ、オキナワ─星野を結ぶ」に参加してきました。
講演は、「なぜ沖縄に米軍基地が押しつけられているのか」と題して、広島修道大学教授 野村浩也さん。
冒頭、何度も野村さんが繰り返されたのは「事実を事実として掘り下げることは、見たくない厳しいものを見なくてはならない」ということでした。
「核兵器のすぐ側で育った」とおっしゃる野村さんは沖縄・コザ生まれ。
野村さんの原風景は、基地の金網であり、朝ベトナムへ飛び立ち、夕方に帰還してくるB52爆撃戦闘機であり、基地そのもの。
ベトナムの子どもや人々を虐殺するために出かけ帰って来る戦闘機、「沖縄は悪魔の島と呼ばれた!沖縄を悪魔の島にしたのは誰なのか!」舌鋒鋭く本土が沖縄に強制し続けている基地の事実と現実を突きつけてこられます。
沖縄の基地の始まりは、日本による琉球併合による新たに「獲得」した住民を治安弾圧するために始まっていること。
1944年、日本軍による沖縄の基地建設の本格化は、沖縄を防衛するためのものではなく、文字通り本土決戦の防波堤・捨石として作られたこと。
その帰結として日本軍による住民に強制された集団自決があり、それ以上に非道な軍による住民虐殺がおこなわれたこと。
沖縄戦以降、米軍は住民を収容所に閉じ込め、無人となった島内の土地を奪い進駐したこと。
硫黄島と同じ「良い位置」に存するという理由で沖縄は兵站基地として永久基地化されてきたこと。
1952年4月28日、サンフランシスコ条約により本土から沖縄は米軍に「正式」に売り渡されたこと。
そして今現在もなお、基地の厳しい事実に現実に毎日毎日、本土・日本人から基地を強制され続けていること。
沖縄の事実はギリギリと鳩尾のあたりをえぐります。
安保を真剣に考えずにいる本土・日本人、連帯を容易く口にする本土・日本人と野村さんの鋭角的な提起は続きました。
討論に入り、白熱した激論を交換しました。
なかなかこれほど講師と討論ができる講演というのは滅多にありません。
講師の野村さん、主催者の前向きな熱意に感謝です。
集会後、野村さんにご挨拶に伺った時、「星野さんは非転向っていうところが凄いわけです。凄い闘いを33年間も獄中でされている。ならばこそ、外にいる人たちはどう動くのか、これが問われているんだと思うんです。」と仰った言葉に、ヒロシマとオキナワ、そして星野さんが完全に繋がっていることを改めて確信できました。
星野さんを取り戻す運動を、職場生産点、地域で飛躍的に前進させようとの主催者のまとめの発言は、私自身の決意ともなりました。
私たち被青同の師であり親でもあった石田郁夫さんの著作を、「随分とこの本は参考になります。」と講演台に置いていらした野村さん。
ぜひとも、野村さんとはこれを機会に討論を重ねて行きたいと思いました。
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